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メサイアと全同志社メサイアの歴史

imageオラトリオ「メサイア」について

 ヘンデルの代表作の1つである「メサイア」は、キリストの生涯の3つの大きな出来事である「預言と降臨」「受難と贖罪、復活」「永遠の生命」を描いたオラトリオです。
 
 第1部「預言と降臨」はキリストの苦悩の生涯を思わせるような重々しい序曲から始まり、メシア降臨の預言、生誕の喜び、キリストの御業・奇跡を歌い、希望と安らぎで結びます。
 
第2部「受難と贖罪、復活」ではキリストの受難や彼を裏切った人々の様子などその大いなる悲しみ、キリストの死後の復活と福音の伝道を歌い、そして主の栄光の国の訪れを讃美する「ハレルヤコーラス」で終了します。

第3部「永遠の生命」では死に対して永遠の生命の勝利宣言がなされ、キリスト復活後の主題を肯定し、キリストの御業・功績を讃える「アーメンコーラス」の大合唱で締め括られます。

 今から270年ほど前、台本作家であり聖書の研究家でもあったチャールズ・ジェネンズが、新約聖書の「詩編」「書簡」「黙示録」などから、また旧約からも「預言」という形で主の物語を語るにふさわしい聖句を精選して作詞をし、ヘンデルに作曲を依頼しました。
 
メサイアは演奏時間が2時間を超える53曲もの大曲ですが、ヘンデルは1741年の8月から9月にかけて、わずか24日間で完成させました。第23曲のアルトのアリアに至っては、彼自身がその楽想に感動し、涙を流しながら作曲したという逸話も残っています。

メサイア全体では旧約の「預言」による時間軸と新約の「現実」となった時間軸が並行して流れており、序曲以外で唯一の楽曲である第13曲「田園交響曲」では旧約の時代から新約の世界へと入っていく時の流れが描かれています。

 オラトリオとは、本来教会で宗教上の物語をわかりやすく伝えるための音楽作品をいいます。オペラの手法を取り入れた音楽ですが、演技や道具、衣装がない点がオペラと異なり、特にオペラが「演じる」ことで表現するのに対し、オラトリオでは「語る」ことに重点が置かれます。
 
メサイアでも歌手に特定の役が与えられることはなく、キリストを"He"とした間接話法を用いて語る形式をとっています。

 初演は1742年4月13日のアイルランドのダブリンでの慈善演奏会であり、大成功を収めました。一方、ロンドンでの初演はダブリンでの演奏から約1年後の1743年3月23日に行われ、この時のタイトルは「新しい宗教曲オラトリオ」とされており、ヘンデルがオラトリオを劇場で演奏することに対する宗教界からの反発を意識していたと考えられます。
 
当時としてはエンターテイメント性の高い作品であったメサイアは、ロンドン初演当時、「たとえ神を賛美する内容であっても『劇場』で行うような『娯楽』作品に『救世主』という名を付け、宗教的な内容を演奏することは冒涜である」と、あまりいい評価は得られませんでした。しかし、音楽そのものは高く評価されました。

第44曲「ハレルヤ」は、この初演において国王ジョージ2世が感激のあまり立ち上がったことから、聴衆が立ち上がって聴く習慣ができました。

1750年以降、メサイアは徐々に人々に受け入れられ、1759年のヘンデル没後も今に至るまで世界中で愛されています。




image全同志社メサイア演奏会の歴史

I:戦前メサイア

 同志社において初めてメサイアが演奏されたのは、創立50周年にあたる大正14(1925)年である。当時、同志社にはまだ混声合唱団がなかったが、柳兼子女史(当時同志社女子専門学校教員)、片桐哲氏(グリークラブ初代顧問)の多大な尽力により、「記念イヴ演奏会」において初めてハレルヤコーラスが歌われた。
 
これを契機として、混声合唱団やシンフォニーオーケストラ(現同志社交響楽団)がメサイアの抜粋演奏をするようになり、昭和10(1935)年、グリークラブ第9代指揮者森本芳雄氏の指揮の下、栄光館において初めてメサイア全曲が演奏された。

これが事実上、「第1回メサイア演奏会」であり、NHKで全国放送されるなど非常に大きな反響を呼んだが、戦争の影が濃くなる中、メサイアは昭和15(1940)年をもって中断された。


Ⅱ:戦後メサイア

 戦後、昭和21年(1946)11月にイヴ演奏会でメサイアから9曲が演奏され、同志社メサイアは再び行われるようになった。
 
昭和23(1948)年には森本芳雄氏、前窪一雄氏らの尽力により、同志社交響楽団も加わり、モーツァルト版による全曲演奏が実現した。戦後の混乱の中、底冷えのする栄光館に進駐軍の兵隊が多数来聴し、一般の人々と共に平和への願いを誓いあったという。

このようにして、京都の年中行事として定着しつつあった同志社メサイアであったが、森本芳雄氏の急逝、ソリスト、オルガニストの帰米、海外留学、更に各団の多忙などの諸事情により再び中断されることになる。

その後、他大学の合唱団と同志社交響楽団による三大学メサイア、また同志社メサイアも催されたが、後継者難などにより、以後10年間同志社メサイアはとり行われなかった。


Ⅲ:復活メサイア

そして同志社創立90周年を迎えた昭和40年(1965年)、同志社メサイアは「第1回全同志社メサイア演奏会」として復活した。90周年ということで、ベートーヴェンの第九を推す声もあった。が、同志社とメサイアの歩みやプロテスタントの学風から、メサイアを演奏することになったという。

記念すべき第1回には同志社交響楽団、同志社グリークラブ、同志社女子大学音楽科、諸団体のメンバーが参加し、金子登氏が指揮。その後も一流の指揮者、独唱者を多く迎え、本演奏会は回を重ねている。

昭和57年(1982)には女声部が同志社女子大学音楽科の総合参加からサークルによる自主参加へと変わり、同志社女子大学メサイア研究会が発足。平成元(1989)年からは一般公募団体共に活動するようになった。

そして平成16(2004)年、メサイア研究会はメサイア・コアーに名称を変え、一般公募団体は同志社大学学生支援課主催のメサイアシンガーズとして参加することになる。第48回には、同志社大学女声合唱団フルール(2011年発足)が加わり、女声部は第51回まで三団体で構成されていた。

今まで支えてくださった先生方のご協力やご指導、後援会のご支援、そして聴衆の皆様に大いなる感謝を。
これからもクリスマスはメサイアの響きとともに。  



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